保阪正康の「不可視の視点」 明治維新150年でふり返る近代日本(22) ポツダム宣言受諾で目指した 「近代日本が選択した道」清算


保阪正康の「不可視の視点」 明治維新150年でふり返る近代日本(22) ポツダム宣言受諾で目指した 「近代日本が選択した道」清算

東條英機内閣退任のプロセスを追うと、近代日本の矛盾が顕になってくる。たとえば昭和10年代の内閣更迭は、大体が陸軍が次期大臣を推挙しないことで自在に内閣の生殺与奪の権利を手にしていた。それは陸海軍大臣現役武官制を錦の御旗としての暴挙ともいえた。ところが東條内閣の倒閣では、天皇の命により内閣に重臣級の大物を入閣させることになったが、その大物たちが一様に辞退し、東條にそっぽを向いた。一方で、そのような大物を入閣させるために、東條首相は大臣を辞めさせなければならなかった。つまりポストを開ける必要があった。その対象になったのは岸信介商工大臣である。

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